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皇法健康所開所して

          皇法健康所開所して 44年目に

 昭和53年(1978年)12月8日に、和白で皇法健康所を開所して本日から<44年>めに入ります。仏縁が深い関係で、その日がお釈迦様が悟りを開いた日ということで、旅立ちした妻の父親の志賀島の勝馬・西福寺の惠達和尚に健康所のお浄めのお経を上げていただきました。

 よそ者が来て何ができるのか、何をするのかという冷ややかな環境の中でスタートしました。施術の基本は体を解して、オリジナルの鍼を置鍼に使って気の調整をしてから、後半の仕上げをするという手技による施術体系でスタートしました。

 実母のハッスルばーちゃんは「一人一人体を触るのは疲れるから」と、何度も注意されました。妻にも「あなたから施術の形を変えるように」とよく忠告されていたようです。しかし「施術をするのは本人ですし、私はその応援をしていきます」ということで、姑と嫁の折り合いはついたようです。

 開所して2年経ったら和白開所のお世話になった方が「二年きっちり賃貸料金を支払ったのなら、ローンを組んでアナタの仕事場兼住宅の一戸建てを立てたらどうかね」といわれて、その方向に事態が進みました。今のところに狭いながらも、素敵な仕事場と家族が住む場所を作ることができました。

 そうした中で、一人から一人のご縁、ご紹介でお越し下さる方達のお陰で月日が流れていきました。
そうした厳しい環境の中で妻は5人の子供を産んでくれ、それなりに育ててくれていました。銀行の通帳が=マイナスの赤字の数字=が増えていきましたが、動じることもなく子供達には今しかできない体力づくり、習いごとをさせていました。

 その子どもたちもご縁ある方達と所帯を持ち、皆独立して家を出て行ってしまいました。

 今年の3月1日の誕生日に<喜寿の祝い>をしてあげることができました。そうした折に何か感じることがあったのか、亡くなる一週間前に子供たちがなんとなく集まってきて、何故か東京の息子もリモートで入ってこれて、会計として管理している貯金等の話をする機会を作っていました。

 その折に子供達から「50年近く病院に罹っていないけど、歳も年だしこの際一度病院に罹って診てもらったら」といわれて、若い時から知っている医者の医院を訪ねてみてもらい「何かがあっても一切の延命治療はいりません」とお願いしたようです。

 その医師の紹介で「大きな病院で一度検査していただき、それに基づいて私がお世話させていただきます」ということで、近くの大きな病院で「CT検査」を受けた後から体調が急変しました。何とか和白の自宅にたどり着き私と娘たちの手当てを受けました。しかし、途中で息も脈も止まり緊急で電話をしたら、レスキュウ隊の方が駆け付けてくれてそのまま病院に運ばれました。

 9月9日の重陽の日、明けて重陽後一日の9月10日の10時19分に、今生の勤めを終えて永遠の旅立ちをされました。次男の和尚が<喜願院観空和惠大姉>の戒名付けてくれました。

 重陽の9月9日の救急の日に、初めて救急車に乗り、明けて10日・テンに19分・イクという字合わせ、さらに博多湾の潮が満潮から干潮に移る時間に、ピンピンころりと旅立つことができました。
 和白を移転して宗像の娘の家の前の分譲地を、何名かの申し入れはあったようですが、最終的には無抽選で9号を購入することができました。

 皇法健康所は長年お世話になった和白から、新しい私の仕事場を子供たちが用意してくれました。
 その場所でどれほどのことができるのか、喜願院さんに見守られながら精一杯好きな仕事を通して、残された人生を感謝・報恩の気持を持って、日々楽しく過ごしていきたいと思います。

 

 

皇法健康所

〒 811-4175

宗像市田久5-28-19

TEL:090-1774-1057